三國志Ⅱ(PC-88版)をエミュレータによるプレイ、シナリオ2 上級、公孫瓚で遊んでおります。
Mirrativにて10月24日に配信したものをYoutubeにアップロードしております。
…で、『なんで#02なの?』という話なんですが。
セーブデータが時空の彼方へ旅立ちました!(一敗)
…という訳で時が巻き戻ってしまいましたが、幻となった#01に興味がお有りであればこちらでご覧下さい。
『無かった事にしてはいけない』(CV:宮野真守)
さて、10国・19国という大都市を手に入れた公孫瓚軍の次の目標ですが、司馬徽さん(視聴者様)の意見を元に11国・12国を攻め取るという方針に。
199年5月、収入に余裕の出来た公孫瓚軍は5万の軍勢を揃え趙雲を総大将として11国へ早速出陣。
開幕は戦の華、一騎討ち。
夏侯淵負けとるやん…
などと出鼻は挫かれたものの、兵力に勝る公孫瓚軍はそのまま11国奪取に成功。
10国から11国へ兵士を移動させ、間髪入れずに7月に12国へ出陣。
兵は神速を尊ぶのだ。(フラグその1)
開幕の一騎討ちも太史慈が董衡を下し、敵兵1万を丸々捕虜とする活躍にもはや「勝ったなガハハ」と気の緩む私。(フラグその2)
着々と城の包囲を進めていたが…
『張遼が寝返りました』
( ゚д゚)…
(つд⊂)ゴシゴシ
(;゚д゚)…?
マ・ジ・か!?
…と慌てて寝返り工作をやり返すも、
『張遼は忠義の士です』
誰が忠義の士じゃい!…というツッコミも虚しく張遼が再び寝返ることはなく、そのまま城攻めを強行することに。(狼狽する私の様子は動画の40:40あたりから)
張遼が寝返った時点ではまだ兵力では上回っていたものの、城の防御力、川への布陣という不利な状況からジリジリと兵数を減らしていき、
「オンドゥルルラギッタンディスカー!!」
趙雲、太史慈は即座に引き抜きに成功し取り戻せたものの、張遼は忠誠99、計略の偽書疑心も通用せず引き抜きは諦めることに。流石忠義の士ですわ…。
その後、袁紹に攻められた劉備の援軍要請に4万の観戦武官を送るなどしつつ、再度12国侵攻の準備を整え、年が明けた200年1月に再度出撃。
開幕の一騎討ち、曹操軍からはかつての仲間である張遼(武力91)が、対するは公孫瓚軍No.3の龐徳(武力94)。
やったぜ龐徳!
その後はCPUが兵の再編成を行っていなかったこともあり、城に籠もる曹仁の兵を削り退却させてようやく12国の奪取に成功しました。
というか上級の忠誠度の下がり方、マジでキツい…
という構図。
といったところで、今回はここまで。
駄文散文、ご容赦を。
ガバプレイの歴史が、また1ページ…