三國志Ⅱ(PC-88版)をエミュレータによるプレイ、シナリオ2 上級、公孫瓚で遊んでおります。
Mirrativにて12月10日に配信したものをYoutubeにアップロードしております。
201年12月の勢力図です。
曹操領の13国を奪取したものの、敵将には29国に退却され、約7万の兵力で立て籠もられている状況です。
さらに背後には劉璋軍が同盟として控えており、最悪のシチュエーションとしては曹操軍約7万+劉璋軍4万(配信内では5万と言っていますが、防御側援軍は最大4万です)を相手にしなければならない可能性もあります。
敵将への計略等を試すものの成果は上がらず、またもや消耗戦か…と考えていたところであることに気付き、一計を案じます。
29国の状況。
三國志Ⅱでは、兵力=一ヶ月に消費する兵糧の量、となります。
約7万の兵力に対し兵糧が14万弱であれば、戦闘で兵力が減少することを想定しても2ヶ月程度しか保たない計算になります。
むしろ劉璋軍が援軍に来れば、兵糧不足はさらに加速することになります。
『兵糧攻め、するか…』
そうとなれば、話は簡単。
城を攻め落とす必要は無く、こちらは突出感してくる部隊を叩くことのみに専念すれば良い。
最悪、こちらの武将が捕縛されたとしても最終的に29国が陥ちれば曹操軍の武将は全て公孫瓚軍の手に落ちることになります。
こうして、撮れ高無き戦いの火蓋は切って落とされた…w
とにかく『30日間粘る戦い』だけを仕掛ける公孫瓚軍。
…地味過ぎィ!
ちなみにメタな話となりますが、三國志Ⅱというゲームの仕様上、『一つの敵国に複数の自国から同じ月に複数回攻め込む』ことが可能です(後に移植されたプレステ版等は出来なくなっているらしいですが)。
それをやると、同じ月の1日〜30日を複数回繰り返すということになり、『宇宙の 法則が 乱れる!』ので、その手法はプレイヤーチート気味なので禁じ手としております。
ただでさえ上級で四苦八苦してるのに、何故さらに縛りを追加するのか…
閑話休題。
年が明けて202年、袁紹が寿命で死亡し袁譚が跡を継いだり、公孫瓚領で住民反乱が起きたり、一騎打ちで夏侯淵が龐徳に負けて捕まったりしつつも、
「月刊兵糧攻め」のノリでとにかく時間稼ぎ戦術の戦争を繰り返します。
その合間に、公孫瓚領の中で兵糧の余っている21国から不足している13国への輸送を行ったのですが…
(動画の1:09:30~をご覧下さい)
おいィ?甘寧なにしとんねん…
これ、普通に北上すれば自国領内で行けるよね?
わざわざ西ルートで敵国領を通るのか、ソレガワカラナイ
いや、その前の許褚も西ルート通って失敗してるんだから、甘寧も同じルート通るのはわかるだろ(一敗)
…などという、丸一ヶ月相当の兵糧を敵に与えてしまうというささやかなアクシデントはあったものの、月刊兵糧攻めは続きます。
そして202年3月。
忠誠度低下による4連下野があったものの、ついに29国の兵糧がデッドラインに。
今月こそは29国を陥落せしめんと、4度目の月刊兵糧攻め仕掛けます。(動画2:12:00~)
しかし兵糧がデッドラインを超えたことにより、CPUの挙動が変わり、突撃を多用してくるように。
兵力の減少=消費兵糧の減少なので、とにかく可能な限り戦闘を避けつつ持久戦に。
こちらの武将も捕縛されますがそんなことはお構い無しに、最後は紀霊を肉壁にして総大将の太史慈を死守するという戦術で、曹操軍の残り兵力と兵糧を計算しながらとにかく粘ります。(動画2:26:06~)
そして迎えた30日目、ゲームシステム的に兵糧減少処理が行われるタイミングに惑わされる私w
からの『曹操軍の兵糧が底をついた』の表示を見ての渾身の「よし!」をお聞き下さいw
(動画2:30:24~)
そんなわけで、最後は本当に数字とにらめっこしながらの戦いとなりましたがようやく29国を陥とせました。
次回は戦後処理からのスタートとなりますが、劉璋領と接している国が増えたため、いつ攻め込まれてもおかしくない状況です。
早急に軍備を整える必要があるでしょう。
202年3月時点の勢力図。
といったところで、今回はここまで。
…なのですが。一回目の戦争で捕まった韓玄、いなくなってるけど………処断された?
( -人-) チーン †┏┛墓┗┓†
駄文散文、ご容赦を。
ガバプレイの歴史が、また1ページ…